2012年10月18日木曜日

ジャングルポケット(5)

ジャングルポケットは、トニービンを父に、ダンスチャーマーを母に持つ、かわいくて、たくましい脚をもつ、鹿毛の男子の馬、それが、ジャングルポケットです。

ジャングルポケット「パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ。」

ジャングルポケット「パカッ。」

ジャングルポケット「ヒヒ~ン。」


2003年、ジャングルポケットは、生まれ故郷・北海道・勇払郡・早来町(現・安平町)・早来源武275番地の、ノーザンファームに隣接する、社台スタリオンステーションに到着、ここで、種牡馬として、繋養生活を送ることになったのです。

ジャングルポケット「ブルルルル、ブルルルル。」

スタッフ「ジャングルポケット、ここで、種牡馬として繋養して行こう。」

ジャングルポケット「ヒヒ~ン。」

ジャングルポケットは、放牧場に行き、放牧されました。

ジャングルポケット「ヒヒ~ン、ヒヒ~ン、ヒヒ~ン。」

ジャングルポケットは、大きい雄叫びで、いなないてやりました。

ジャングルポケットは、トニービンを父に、ダンスチャーマーを母に持つ、雄大な北海道の大地を走りながら、かわいい鬣と、きれいな鹿毛の馬体を見せてやる、おとなしい素直な馬、それが、ジャングルポケットです。

ジャングルポケット「ヒヒ~ン、ブルルルルル。」


ジャングルポケットは、大きくていい牧草をはんでやりました。

「もぐもぐ。」

ジャングルポケットは、大きい牧草をはみながら、優しく、たくましい鹿毛の馬に成長する馬です。

18歳になった現在も、種牡馬として、繋養生活を送っている、ジャングルポケット、これまでに多くの牝馬に種付けを行い、多くの牡馬・牝馬を輩出してきた、ジャングルポケットの、今後のさらなる大物産駒の誕生を期待したいと想い、願っております。
(終)

ジャングルポケット(4)

2001年の競馬が終わり、トニービンを父に、ダンスチャーマーを母に持つ、鹿毛の馬・ジャングルポケットは、2001年の年度代表馬・最優秀3歳馬に選出されました。

ジャングルポケットは、雄大な北海道の牧草が育てた、かわいい鹿毛の馬です。

翌年、ジャングルポケットは、阪神大賞典に駒を進めるも、ナリタトップロードの2着、続いて出走した天皇賞・春も、マンハッタンカフェを捕えることができず2着に敗れた。

その後、ジャパンカップに連覇をかけて、ジャングルポケットは出走するが、5着と振るなかった。

2002年12月22日、有馬記念にも出走したが、シンボリクリスエスの7着に終わったが、レース後、腰部筋肉痛と、左前蹄球炎を発症したことが検査で判明、協議の結果、現役引退を決め、ジャングルポケットは、2000年のデビュー以来、長く続いてきた、現役競走馬生活に終止符を打ち、引退することが決まったのです。

こうして、トニービンを父に、ダンスチャーマーを母に持つ、かわいい鹿毛の男馬・ジャングルポケットは、競争生活に別れを告げました。

2003年1月・ジャングルポケットの引退式が、京都競馬場で行われ、多くのファンに惜しまれつつ、ジャングルポケットは、ターフに別れを惜しみ、去っていきました。

ジャングルポケット「ヒヒ~ン。」
(その5へ。)

ジャングルポケット(3)

ジャングルポケットは、トニービンを父に、ダンスチャーマーを母に持つ、かわいい鹿毛の男馬、それが、ジャングルポケットです。


ジャングルポケット「パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ。」


ジャングルポケット「ヒヒ~ン、ヒヒ~ン、ヒヒ~ン!」


2001年・牡・3歳になった、ジャングルポケットは、共同通信杯4歳ステークス(現・共同通信杯)からスタートしました。

主戦騎手を、千田輝彦騎手から、角田幸一騎手に変えて、出走させました。


ファンファーレと同時に、ジャングルポケットはゲートへ誘導されて、収まるのです。


ジャングルポケット「ヒヒ~~~~ン!」

ゲートオープンと同時に、共同通信杯4歳ステークス(現・共同通信杯)はスタートを切り、ジャングルポケットも、ゴール前でヨレながらも、1着でゴール板を切ったのです。

ジャングルポケット「ヒヒ~ン、ヒヒ~ン、ヒヒヒヒヒ~ン。」

ジャングルポケットは、勝利の雄たけびを鳴らしてやりました。

ジャングルポケットはトニービンと、ダンスチャーマーの仔、かわいくてきれいな、鹿毛の馬になってほしいという願いが込められている鹿毛の男馬、それがジャングルポケットです。

レース後、ドーピング検査を受ける為、検査施設にジャングルポケットを歩かせました。

検査施設に入った、ジャングルポケットは、ニョロニョロと伸ばしておりました。

ジャングルポケット「バシャーーーーーーーーーーーーーーーー!」

ジャングルポケットは、大きいおしっこを出してやりました。

ジャングルポケットは、雄大な北海道の大地に育まれ、育った、トニービンとダンスチャーマーの仔、大きくてたくましい鹿毛の馬になってほしい願いが込められている、鬣の多い鹿毛のサラブレッド、それがジャングルポケットです。

ジャングルポケットの父・トニービンは、現役時代・イタリアで競走馬として活躍した、鹿毛のサラブレッドで、アイルランドで生産された男馬です。

引退後、種牡馬として、日本に輸入され、エアダブリン・エアグルーヴなど、代表的な産駒を輩出しております。

ダンスチャーマーの1998が血統名の、ジャングルポケットもその1頭として生まれた馬です。

ジャングルポケットの母・ダンスチャーマーは、不出走のまま繁殖牝馬として日本に輸入された、アメリカ馬での牝馬のサラブレッドです。

ジャングルポケットは、共同通信杯4歳ステークスを制覇したのです。

ジャングルポケットは、トライアルの報知杯弥生賞にはむかわず、皐月賞に直行したが、アグネスタキオンの3着に敗れ、2敗目を帰しました。

ところが、ジャングルポケットなどを抑えて優勝し、ダービーに出走を予定していた、アグネスタキオンに屈腱炎が発生し戦線を離脱、そのまま引退に追い込まれたのです。

その為、ジャングルポケットは、1番人気に支持されて、18番のゼッケンをつけて出走させたのでした。

直線コースをむいた、ジャングルポケット、先頭に立ち、2着のダンツフレームを抑えて、1着となり、21世紀最初のダービー馬になりました。

ジャングルポケット「ヒヒ~ン、ヒヒ~ン、ヒヒ~ン。」

ジャングルポケットは、大きい雄叫びで、勝利を喜びました。

古馬との初対決が注目された、札幌記念は3着と3敗目、菊花賞では4着と4敗目を期しております。

ジャパンカップに出走した、ジャングルポケットは、当時・短期免許で来ていた、オリビエ・ペリエ騎手が手綱をとり、2着馬の、テイエムオペラオー以下を抑えて差し切り勝ちで優勝、5勝目を挙げたのです。

ジャングルポケット「ヒヒ~ン。」

ジャングルポケットは、大きい雄叫びでいななき、喜んでやる馬になりました。

ジャングルポケット「ヒヒ~ン!」
(その4へ。)

ジャングルポケット(2)

ジャングルポケットは、トニービンを父に、ダンスチャーマーを母に持つ、鹿毛の男馬、それが、ジャングルポケットです。

ジャングルポケット「パカッ、パカッ、パカッ、パカッ。」

ジャングルポケット「ヒヒ~ン。」

渡辺栄厩舎の中。

ジャングルポケット「ヒヒ~ン、ヒヒ~ン、ヒヒヒヒ~ン。」

ジャングルポケットは、大きい雄たけびを鳴らしてやりました。

ジャングルポケットは、トニービンを父に、ダンスチャーマーを母に持つ、かわいくて、素直な、鹿毛のサラブレッド、たくましく、強い馬二世ch徴する男の子、それがジャングルポケットです。

ジャングルポケット「ヒヒ~ン、ブルルルル。」

ジャングルポケット「カポ、カポ、カポ、カポ。」

ジャングルポケットは、たくましく、かわいい脚を、鳴らしながら、歩めてやりました。

さすが、トニービンを父に、ダンスチャーマーを母に持つ、ジャングルポケットです。

ジャングルポケット「ウ―――――!」

ジャングルポケット「ボト、ボト、ボト、ボト、ボト。」

ジャングルポケットは、大きい緑色のうんこを出していやりました。

栗東のコースを、ジャングルポケットは、大きい蹄で、走ってやりました。

ジャングルポケットは、トニービンを父に、ダンスチャーマーを母に持つ、美しいきれいな鹿毛の馬、それが、ジャングルポケットです。


ジャングルポケット「ヒヒ~ン、ヒヒ~ン。」
(その3へ。)

ジャングルポケット

ジャングルポケットは、トニービンを父に、ダンスチャーマーを母に持つ、かわいくて、たくましい男の子の馬、それが、ジャングルポケットです。

ジャングルポケット「パカッ、パカッ、パカッ、パカッ。」


ジャングルポケット「パカッ。」


ジャングルポケット「ヒヒ~ン。」


1998年5月7日に生まれた、ジャングルポケットは、ノーザンファームの生産になる、男馬で、ダンスチャーマーの1998が血統名であり、NHKの「おかあさんといっしょ」で使用された曲の名前から取られた、ジャングルポケットは、栗東・渡辺栄厩舎に預けられ、札幌の新馬戦で1着となりデビューを果たすに至りました。

その後、札幌2歳ステークスでも1着となり、2勝目を挙げるが、ラジオたんぱ杯2歳ステークス(現・ラジオNIKKEI杯2歳ステークス)で2着に敗れ、初の敗戦をきしています。

ジャングルポケットは、3戦2勝の成績で、2歳での競走馬生活を終えたのです。


ジャングルポケットは、休養を挟んで、3歳での競争生活を始める、2001年を迎えることになるのです。

ジャングルポケット「ヒヒ~~~~ン、ブルルルルルルルルルルル。」
(その2へ。)



2012年10月17日水曜日

ヴィータローザ 種牡馬として、渡航してから、4年。

2008年10月23日・北海道・浦河郡・浦河町にある、イーストスタッドに、出国検疫検査に来ていた、ヴィータローザ(父・サンデーサイレンス・母・ローザネイ・毛色・栗毛・牡)が、検疫検査を終えて、馬運車に乗せられて、イーストスタッドを出発し、空港に到着、これから、ストールに乗せるのを待っていました。

イタリア語で薔薇色の人生という意味の、ヴィータローザ(VITA ROSA)は、2008年8月24日・札幌競馬場で行われた、札幌記念で、タスカータソルテの7着に終わったのが最後のレースとなり、9月3日付で、競走馬登録を抹消、その後・北海道・勇払郡・安平町・早来源武275番地の、ノーザンファームで種牡馬生活を送るための準備を整えた後、同じ北海道・浦河郡・浦河町のイーストスタッドで、10月22日まで、出国検疫検査を受けておりました。

サンデーレーシングが、総額8000万円という、破格値の価格で募集され、栗東・橋口弘次郎厩舎に、在厩し、ラジオ日本賞セントライト記念など、51戦6勝の成績を残した、ヴィータローザは、イーストスタッドで、出国検疫検査を受けておりました。

2000年4月9日に生まれた、栗毛の馬・ヴィータローザは、馬運車に乗せられて、検疫検査を受けた、イーストスタッドから、空港に来ました。

馬運車を降り、ストールに乗せられた、ヴィータローザは、栗毛の馬体を見せながら、名残惜しい、日本を離れる最後の日々を見つめていました。

イタリア語で、薔薇色の人生という意味の、ヴィータローザは、ストールに積み込まれており、いよいよ、飛行機に乗せられました。

ヴィータローザは、2008年10月23日・飛行機で、名残惜しい日本を後に、イギリスにむけて渡航していきました。

あれから、4年が過ぎました。

サンデーサイレンスとローザネイの仔・ヴィータローザ(薔薇色の人生・伊)は、2009年から、イギリス・サフォーク州・ニューマーケットの、ランウェイズ・スタッドで種牡馬としてスタッドイン、ここで、1年間繋養生活を送った後、2010年~2011年の種牡馬シーズンから、今度は、イタリア・シエナの、アルバメント・ルナッチーノ・ファットリアに移動し、2012年の現在も、繋養生活を送っています。

現役引退から、4年が過ぎ、現在も、種牡馬として送る、ヴィータローザ(VITA ROSA)の、今後の活躍を期待したいと想い、願っております。

2012年10月15日月曜日

種牡馬・ステイゴールド

1994年3月24日に北海道・白老町の白老ファームに生まれ、1996年から2001年の現役引退まで、50戦7勝を挙げた、黒鹿毛の馬・ステイゴールド、2002年1月20日・京都競馬場で行われた、引退式には香港ヴァーズ(2001年12月16日・シャンティン競馬場・1着)のときにつけた、ゼッケン・5番で登場し、馬名の由来となった、スティービー・ワンダーの「Stay Gold ステイゴールド」(カーマイン・コッポラ 作曲)を流しての登場となったのです。

多くのファンに惜しまれつつ、引退式を終えた、ステイゴールドは、繋養先の、ブリーダーズ・スタリオンステーション(北海道・沙流郡・日高町・門別)にむけて出発し、ターフを去りました。

2001年の特別賞を受賞した、ステイゴールドは、2003年シーズンから、ブリーダーズ・スタリオンステーションと、ビックレッドファーム(新冠郡・新冠町)の半年ごとに移動しながら、8年契約で、繋養生活を送っています。


2012年・ビックレッドファームの種牡馬厩舎にいる、ステイゴールドは、2011年まで、ブリーダーズ・スタリオン・ステーションで繋養されたもので、本年から当牧場で繋養生活を送っており、2011年の6月30日で競走馬を引退した、ドリームジャーニーや、現在も現役競走馬として活躍する、オルフェーヴルが代表産駒となっており、毎年・多くの馬を輩出しております。

ステイゴールドが厩舎を出て、放牧場に来ました。

ステイゴールド「ブルルルルルルル。」

ステイゴールド「ヒュヒュヒュヒュヒュヒュ~ン!」

ステイゴールド「パカッ、パカッ、パカッ。」

ステイゴールドは、大きい脚で、日高の牧草を走っていました。

競走馬時代に、柔らかいうんこを出してしまうなど、獣医師を困らせたこともあった、ステイゴールドですが、種牡馬入りして、好物の牧草も生えているのか、ステイゴールドも体を張って放牧をしていました。

ステイゴールド「ヒュヒュヒュヒュ~ン。」

ステイゴールドは、大きいいななきをしておりました。

ステイゴールド「ウーーーーーーーーーーー!」

ステイゴールド「ボト、ボト、ボト、ボト、ボト、ボト、ボト。」

ステイゴールドは、大きい、緑色のうんこを落としては、臭いを出していました。

ステイゴールド「パカッ、パカッ、パカッ、パカッ。」

ステイゴールド「パカッ、パカッ、パカッ、パカッ。」

ステイゴールドは、雄大な北海道の大地を、大きい脚で、蹴っていました。

ステイゴールドは、黒鹿毛の馬体を見せては、走っていました。

今年の3月24日現在で、牡・18歳と、種牡馬としては、健在であり、今後も多くの産駒の登場が期待されています、ステイゴールドが、さらなる活躍を期待したいと想い、願っております。

2012年10月3日水曜日

VODKA2011 (ウオッカの2011)・今年の11月に、初来日。

2011年5月2日(日本時間・5月3日)に、アイルランド・キルディア州・キルディア近郊のギルタウンにある、AGAKHAN STUD GILLTOWN(アガ・カーンスタッド・ギルタウン マネージャー・Pat Downs(パッド・ダウンズ) 氏)で、カントリー牧場(北海道・日高郡・新ひだか町・静内 今年の3月末で閉鎖・解散・清算済。)の名義で生産された、VODKA2011(ウオッカの2011)が、今年の11月に、タタソールズ1歳馬セール出身馬と共に、日本へ輸入され、初来日することが明らかになりました。

VODKA2011は、父・シーザスターズ・母・ウオッカで、VODKA2011の母・ウオッカは、26戦10勝の成績を残し、2008・2009年のJRA賞・年度代表馬・最優秀4歳上牝馬に選出された、タニノギムレットとタニノシスターの三区の鹿毛馬です。

VODKA2011の母・ウオッカは、2006年の最優秀2歳牝馬を総なめにした他、2007年には、特別賞を受賞した、すっぴんで、かわいい鹿毛の馬でしたが、2010年3月4日(日本時間・3月5日)のマクトゥームチャレンジ・ラウンド3(8着・ドバイ・メイダン競馬場)を最後に、競走馬生活に終止符を打ち、現役を引退しました。
(ウオッカの、登録抹消は、手続きの関係上、2010年3月18日(日本時間・3月19日)付けとなりました。)

2010年4月から、ウオッカは、繁殖牝馬として、アイルランド・キルディア州・キルディア近郊・ギルタウンの、AGAKHAN STUD GILLTOWN(アガ・カーンスタッド・ギルタウン)で生活を送っていて、現在に至っており、今年の4月4日(日本時間・4月5日)で、牝・8歳の牝馬に成長していて、4月24日には、ウオッカの1年目産駒が、父・シーザスターズとの間に生まれており、3年後の2014年には、競走馬デビューする予定になっており、今後も、VODKA2011の母・ウオッカは、更なる繁殖牝馬としての活躍が期待されております。
(ウオッカは、2011年度の、顕彰馬に選定され、受賞しました。)

預託先も、母・ウオッカ(VODKA)が、現役時代にお世話になった、角居勝彦厩舎(栗東)になりそうです。
(栗東・角居勝彦厩舎の管理調教師・角居勝彦氏は、1964年(昭和39年)生まれ、北陸・石川県・金沢市出身の調教師で、桜丘高校を卒業後、グランド牧場(北海道・新ひだか町(旧・静内町) )での勤務を長くやってきました。
日本中央競馬会(JRA)に入会後は、栗東・松田国英厩舎(マツクニ)などにて、調教助手を長くやって、その後・調教師試験に合格しました、調教師試験合格後は、技術調教師をやって磨き、2001年・定年により解散した、二分久男厩舎と預託契約をかわした馬を引き継ぐ形で、角居勝彦厩舎を栗東トレーニングセンター内に開業し、多くの馬を管理する厩舎として、今日に至っております、この間・デルタブルース・ポップロックの2頭の馬がオーストラリアに遠征し、メルボルンカップで1・2フィニッシュを果たしたことは有名です。)

今後・VODKA2011は、北海道にて、着地検疫検査を受けた上で、入厩にむけて、育成し、年内及び、牡・3歳の2013年には、競走馬デビューを目指しております。

シーザスターズとウオッカの仔として、難産の末・無事に出産した、VODKA2011(ウオッカの2011)という、黒鹿毛の男馬が、外国産逆輸入馬として、デビューを果たせるのか、期待したいと想い、願っております。