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女傑・ウオッカ・第3仔を受胎、来年の出産にむけて、マタニティライフを送る。

2010年4月1日(日本時間・4月2日)から、アイルランド・キルディア州・キルディア近郊・ギルタウンの、AGA KHAN STUD・GILLTOWN(アガ・カーンスタッド・ギルタウン)にて、繁殖牝馬として、繋養生活を送っている、すっぴんで、かわいい鹿毛の馬 女傑・ウオッカ(VODKA)が、今年も、父で、凱旋門賞馬・シーザスターズとの間で種付け配合を行い、第3仔を無事に受胎、成功したことが判明しました。 女傑・ウオッカは、2004年4月4日生まれの牝・8歳馬で、2010年の3月4日(日本時間・3月5日)に、ドバイ・メイダン競馬場で行われた、マクトゥームチャレンジ・ラウンド3で、レッドディザイアの8着に終わったのを最後に、鼻出血症がもとで、惜しくも現役を引退、イギリス・サフォーク州・ニューマーケットにある、サウスフィールド・ステーブル経由で、3月16日・朝・8時30分(日本時間・午後・17時30分)に、アイルランド・キルディア州・キルディア近郊・ギルタウンの、AGA KHAN STUD・GILLTOWN(アガ・カーンスタッド・ギルタウン)に到着し、同年の4月1日(日本時間・4月2日)から、同場で、繁殖牝馬として、繋養生活を送って送っており、今年で、2年目を迎えたところで、4月4日( 日本時間・4月5日)には、牝・8歳の誕生日を迎えた、牝馬のサラブレッドです。 今年の、女傑・ウオッカは、4月24日に、待望の第2仔を、午前・10時45分(日本時間・午後18時45分)に、安産で出産したのを始め、6月には今年度の配合種牡馬で、凱旋門賞馬のシーザスターズとの種付け配合が、昨年度に続いて行われ、検査で無事・受胎が確認され成功しました。 翌日から、女傑・ウオッカは、今年・3回目のマタニティライフを送リ始めました。 この間、女傑・ウオッカの生産牧場で、北海道・日高郡・新ひだか町にあった、カントリー牧場が、代表者の谷水雄三氏が、高齢の為、閉鎖・解散し、競走馬の自家生産事業から撤退することになり、3月末で、昭和38年(1963年)の開設以来、48年間行ってきた牧場運営に終止符を打ち、 生産設備と、女傑・ウオッカの母・タニノシスターなどの繁殖牝馬・1歳馬を、岡田スタッド(代表・岡田牧雄氏)へ、育成設備を千代田牧場と、同じ日高郡・新ひだか町内の牧場へ譲渡されました。 (女傑・

ジャングルポケット(5)

ジャングルポケットは、トニービンを父に、ダンスチャーマーを母に持つ、かわいくて、たくましい脚をもつ、鹿毛の男子の馬、それが、ジャングルポケットです。 ジャングルポケット「パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ。」 ジャングルポケット「パカッ。」 ジャングルポケット「ヒヒ~ン。」 2003年、ジャングルポケットは、生まれ故郷・北海道・勇払郡・早来町(現・安平町)・早来源武275番地の、ノーザンファームに隣接する、社台スタリオンステーションに到着、ここで、種牡馬として、繋養生活を送ることになったのです。 ジャングルポケット「ブルルルル、ブルルルル。」 スタッフ「ジャングルポケット、ここで、種牡馬として繋養して行こう。」 ジャングルポケット「ヒヒ~ン。」 ジャングルポケットは、放牧場に行き、放牧されました。 ジャングルポケット「ヒヒ~ン、ヒヒ~ン、ヒヒ~ン。」 ジャングルポケットは、大きい雄叫びで、いなないてやりました。 ジャングルポケットは、トニービンを父に、ダンスチャーマーを母に持つ、雄大な北海道の大地を走りながら、かわいい鬣と、きれいな鹿毛の馬体を見せてやる、おとなしい素直な馬、それが、ジャングルポケットです。 ジャングルポケット「ヒヒ~ン、ブルルルルル。」 ジャングルポケットは、大きくていい牧草をはんでやりました。 「もぐもぐ。」 ジャングルポケットは、大きい牧草をはみながら、優しく、たくましい鹿毛の馬に成長する馬です。 18歳になった現在も、種牡馬として、繋養生活を送っている、ジャングルポケット、これまでに多くの牝馬に種付けを行い、多くの牡馬・牝馬を輩出してきた、ジャングルポケットの、今後のさらなる大物産駒の誕生を期待したいと想い、願っております。 (終)

ジャングルポケット(4)

2001年の競馬が終わり、トニービンを父に、ダンスチャーマーを母に持つ、鹿毛の馬・ジャングルポケットは、2001年の年度代表馬・最優秀3歳馬に選出されました。 ジャングルポケットは、雄大な北海道の牧草が育てた、かわいい鹿毛の馬です。 翌年、ジャングルポケットは、阪神大賞典に駒を進めるも、ナリタトップロードの2着、続いて出走した天皇賞・春も、マンハッタンカフェを捕えることができず2着に敗れた。 その後、ジャパンカップに連覇をかけて、ジャングルポケットは出走するが、5着と振るなかった。 2002年12月22日、有馬記念にも出走したが、シンボリクリスエスの7着に終わったが、レース後、腰部筋肉痛と、左前蹄球炎を発症したことが検査で判明、協議の結果、現役引退を決め、ジャングルポケットは、2000年のデビュー以来、長く続いてきた、現役競走馬生活に終止符を打ち、引退することが決まったのです。 こうして、トニービンを父に、ダンスチャーマーを母に持つ、かわいい鹿毛の男馬・ジャングルポケットは、競争生活に別れを告げました。 2003年1月・ジャングルポケットの引退式が、京都競馬場で行われ、多くのファンに惜しまれつつ、ジャングルポケットは、ターフに別れを惜しみ、去っていきました。 ジャングルポケット「ヒヒ~ン。」 (その5へ。)

ジャングルポケット(3)

ジャングルポケットは、トニービンを父に、ダンスチャーマーを母に持つ、かわいい鹿毛の男馬、それが、ジャングルポケットです。 ジャングルポケット「パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ。」 ジャングルポケット「ヒヒ~ン、ヒヒ~ン、ヒヒ~ン!」 2001年・牡・3歳になった、ジャングルポケットは、共同通信杯4歳ステークス(現・共同通信杯)からスタートしました。 主戦騎手を、千田輝彦騎手から、角田幸一騎手に変えて、出走させました。 ファンファーレと同時に、ジャングルポケットはゲートへ誘導されて、収まるのです。 ジャングルポケット「ヒヒ~~~~ン!」 ゲートオープンと同時に、共同通信杯4歳ステークス(現・共同通信杯)はスタートを切り、ジャングルポケットも、ゴール前でヨレながらも、1着でゴール板を切ったのです。 ジャングルポケット「ヒヒ~ン、ヒヒ~ン、ヒヒヒヒヒ~ン。」 ジャングルポケットは、勝利の雄たけびを鳴らしてやりました。 ジャングルポケットはトニービンと、ダンスチャーマーの仔、かわいくてきれいな、鹿毛の馬になってほしいという願いが込められている鹿毛の男馬、それがジャングルポケットです。 レース後、ドーピング検査を受ける為、検査施設にジャングルポケットを歩かせました。 検査施設に入った、ジャングルポケットは、ニョロニョロと伸ばしておりました。 ジャングルポケット「バシャーーーーーーーーーーーーーーーー!」 ジャングルポケットは、大きいおしっこを出してやりました。 ジャングルポケットは、雄大な北海道の大地に育まれ、育った、トニービンとダンスチャーマーの仔、大きくてたくましい鹿毛の馬になってほしい願いが込められている、鬣の多い鹿毛のサラブレッド、それがジャングルポケットです。 ジャングルポケットの父・トニービンは、現役時代・イタリアで競走馬として活躍した、鹿毛のサラブレッドで、アイルランドで生産された男馬です。 引退後、種牡馬として、日本に輸入され、エアダブリン・エアグルーヴなど、代表的な産駒を輩出しております。 ダンスチャーマーの1998が血統名の、ジャングルポケットもその1頭として生まれた馬です。 ジャングルポケットの母・ダンスチャーマーは、不出走のまま繁殖牝馬として日本に輸入さ

ジャングルポケット(2)

ジャングルポケットは、トニービンを父に、ダンスチャーマーを母に持つ、鹿毛の男馬、それが、ジャングルポケットです。 ジャングルポケット「パカッ、パカッ、パカッ、パカッ。」 ジャングルポケット「ヒヒ~ン。」 渡辺栄厩舎の中。 ジャングルポケット「ヒヒ~ン、ヒヒ~ン、ヒヒヒヒ~ン。」 ジャングルポケットは、大きい雄たけびを鳴らしてやりました。 ジャングルポケットは、トニービンを父に、ダンスチャーマーを母に持つ、かわいくて、素直な、鹿毛のサラブレッド、たくましく、強い馬二世ch徴する男の子、それがジャングルポケットです。 ジャングルポケット「ヒヒ~ン、ブルルルル。」 ジャングルポケット「カポ、カポ、カポ、カポ。」 ジャングルポケットは、たくましく、かわいい脚を、鳴らしながら、歩めてやりました。 さすが、トニービンを父に、ダンスチャーマーを母に持つ、ジャングルポケットです。 ジャングルポケット「ウ―――――!」 ジャングルポケット「ボト、ボト、ボト、ボト、ボト。」 ジャングルポケットは、大きい緑色のうんこを出していやりました。 栗東のコースを、ジャングルポケットは、大きい蹄で、走ってやりました。 ジャングルポケットは、トニービンを父に、ダンスチャーマーを母に持つ、美しいきれいな鹿毛の馬、それが、ジャングルポケットです。 ジャングルポケット「ヒヒ~ン、ヒヒ~ン。」 (その3へ。)

ジャングルポケット

ジャングルポケットは、トニービンを父に、ダンスチャーマーを母に持つ、かわいくて、たくましい男の子の馬、それが、ジャングルポケットです。 ジャングルポケット「パカッ、パカッ、パカッ、パカッ。」 ジャングルポケット「パカッ。」 ジャングルポケット「ヒヒ~ン。」 1998年5月7日に生まれた、ジャングルポケットは、ノーザンファームの生産になる、男馬で、ダンスチャーマーの1998が血統名であり、NHKの「おかあさんといっしょ」で使用された曲の名前から取られた、ジャングルポケットは、栗東・渡辺栄厩舎に預けられ、札幌の新馬戦で1着となりデビューを果たすに至りました。 その後、札幌2歳ステークスでも1着となり、2勝目を挙げるが、ラジオたんぱ杯2歳ステークス(現・ラジオNIKKEI杯2歳ステークス)で2着に敗れ、初の敗戦をきしています。 ジャングルポケットは、3戦2勝の成績で、2歳での競走馬生活を終えたのです。 ジャングルポケットは、休養を挟んで、3歳での競争生活を始める、2001年を迎えることになるのです。 ジャングルポケット「ヒヒ~~~~ン、ブルルルルルルルルルルル。」 (その2へ。)

ヴィータローザ 種牡馬として、渡航してから、4年。

2008年10月23日・北海道・浦河郡・浦河町にある、イーストスタッドに、出国検疫検査に来ていた、ヴィータローザ(父・サンデーサイレンス・母・ローザネイ・毛色・栗毛・牡)が、検疫検査を終えて、馬運車に乗せられて、イーストスタッドを出発し、空港に到着、これから、ストールに乗せるのを待っていました。 イタリア語で薔薇色の人生という意味の、ヴィータローザ(VITA ROSA)は、2008年8月24日・札幌競馬場で行われた、札幌記念で、タスカータソルテの7着に終わったのが最後のレースとなり、9月3日付で、競走馬登録を抹消、その後・北海道・勇払郡・安平町・早来源武275番地の、ノーザンファームで種牡馬生活を送るための準備を整えた後、同じ北海道・浦河郡・浦河町のイーストスタッドで、10月22日まで、出国検疫検査を受けておりました。 サンデーレーシングが、総額8000万円という、破格値の価格で募集され、栗東・橋口弘次郎厩舎に、在厩し、ラジオ日本賞セントライト記念など、51戦6勝の成績を残した、ヴィータローザは、イーストスタッドで、出国検疫検査を受けておりました。 2000年4月9日に生まれた、栗毛の馬・ヴィータローザは、馬運車に乗せられて、検疫検査を受けた、イーストスタッドから、空港に来ました。 馬運車を降り、ストールに乗せられた、ヴィータローザは、栗毛の馬体を見せながら、名残惜しい、日本を離れる最後の日々を見つめていました。 イタリア語で、薔薇色の人生という意味の、ヴィータローザは、ストールに積み込まれており、いよいよ、飛行機に乗せられました。 ヴィータローザは、2008年10月23日・飛行機で、名残惜しい日本を後に、イギリスにむけて渡航していきました。 あれから、4年が過ぎました。 サンデーサイレンスとローザネイの仔・ヴィータローザ(薔薇色の人生・伊)は、2009年から、イギリス・サフォーク州・ニューマーケットの、ランウェイズ・スタッドで種牡馬としてスタッドイン、ここで、1年間繋養生活を送った後、2010年~2011年の種牡馬シーズンから、今度は、イタリア・シエナの、アルバメント・ルナッチーノ・ファットリアに移動し、2012年の現在も、繋養生活を送っています。 現役引退から、4年が過ぎ、現在も、種牡馬として送る、ヴィータローザ(VITA R

種牡馬・ステイゴールド

1994年3月24日に北海道・白老町の白老ファームに生まれ、1996年から2001年の現役引退まで、50戦7勝を挙げた、黒鹿毛の馬・ステイゴールド、2002年1月20日・京都競馬場で行われた、引退式には香港ヴァーズ(2001年12月16日・シャンティン競馬場・1着)のときにつけた、ゼッケン・5番で登場し、馬名の由来となった、スティービー・ワンダーの「Stay Gold ステイゴールド」(カーマイン・コッポラ 作曲)を流しての登場となったのです。 多くのファンに惜しまれつつ、引退式を終えた、ステイゴールドは、繋養先の、ブリーダーズ・スタリオンステーション(北海道・沙流郡・日高町・門別)にむけて出発し、ターフを去りました。 2001年の特別賞を受賞した、ステイゴールドは、2003年シーズンから、ブリーダーズ・スタリオンステーションと、ビックレッドファーム(新冠郡・新冠町)の半年ごとに移動しながら、8年契約で、繋養生活を送っています。 2012年・ビックレッドファームの種牡馬厩舎にいる、ステイゴールドは、2011年まで、ブリーダーズ・スタリオン・ステーションで繋養されたもので、本年から当牧場で繋養生活を送っており、2011年の6月30日で競走馬を引退した、ドリームジャーニーや、現在も現役競走馬として活躍する、オルフェーヴルが代表産駒となっており、毎年・多くの馬を輩出しております。 ステイゴールドが厩舎を出て、放牧場に来ました。 ステイゴールド「ブルルルルルルル。」 ステイゴールド「ヒュヒュヒュヒュヒュヒュ~ン!」 ステイゴールド「パカッ、パカッ、パカッ。」 ステイゴールドは、大きい脚で、日高の牧草を走っていました。 競走馬時代に、柔らかいうんこを出してしまうなど、獣医師を困らせたこともあった、ステイゴールドですが、種牡馬入りして、好物の牧草も生えているのか、ステイゴールドも体を張って放牧をしていました。 ステイゴールド「ヒュヒュヒュヒュ~ン。」 ステイゴールドは、大きいいななきをしておりました。 ステイゴールド「ウーーーーーーーーーーー!」 ステイゴールド「ボト、ボト、ボト、ボト、ボト、ボト、ボト。」 ステイゴールドは、大きい、緑色のうんこを落としては、臭いを出していました。 ステイゴールド「パカッ、パカッ、パ

VODKA2011 (ウオッカの2011)・今年の11月に、初来日。

2011年5月2日(日本時間・5月3日)に、アイルランド・キルディア州・キルディア近郊のギルタウンにある、AGAKHAN STUD GILLTOWN(アガ・カーンスタッド・ギルタウン マネージャー・Pat Downs(パッド・ダウンズ) 氏)で、カントリー牧場(北海道・日高郡・新ひだか町・静内 今年の3月末で閉鎖・解散・清算済。)の名義で生産された、VODKA2011(ウオッカの2011)が、今年の11月に、タタソールズ1歳馬セール出身馬と共に、日本へ輸入され、初来日することが明らかになりました。 VODKA2011は、父・シーザスターズ・母・ウオッカで、VODKA2011の母・ウオッカは、26戦10勝の成績を残し、2008・2009年のJRA賞・年度代表馬・最優秀4歳上牝馬に選出された、タニノギムレットとタニノシスターの三区の鹿毛馬です。 VODKA2011の母・ウオッカは、2006年の最優秀2歳牝馬を総なめにした他、2007年には、特別賞を受賞した、すっぴんで、かわいい鹿毛の馬でしたが、2010年3月4日(日本時間・3月5日)のマクトゥームチャレンジ・ラウンド3(8着・ドバイ・メイダン競馬場)を最後に、競走馬生活に終止符を打ち、現役を引退しました。 (ウオッカの、登録抹消は、手続きの関係上、2010年3月18日(日本時間・3月19日)付けとなりました。) 2010年4月から、ウオッカは、繁殖牝馬として、アイルランド・キルディア州・キルディア近郊・ギルタウンの、AGAKHAN STUD GILLTOWN(アガ・カーンスタッド・ギルタウン)で生活を送っていて、現在に至っており、今年の4月4日(日本時間・4月5日)で、牝・8歳の牝馬に成長していて、4月24日には、ウオッカの1年目産駒が、父・シーザスターズとの間に生まれており、3年後の2014年には、競走馬デビューする予定になっており、今後も、VODKA2011の母・ウオッカは、更なる繁殖牝馬としての活躍が期待されております。 (ウオッカは、2011年度の、顕彰馬に選定され、受賞しました。) 預託先も、母・ウオッカ(VODKA)が、現役時代にお世話になった、角居勝彦厩舎(栗東)になりそうです。 (栗東・角居勝彦厩舎の管理調教師・角居勝彦氏は、1964年(昭和39年)生まれ、北陸・石川県・金沢市出身

VODKA2012(ウオッカの2012・2)

4月24日に、アイルランド・アガ・カーンスタッド・シェシューンで生まれた、女傑・ウオッカの1年目産駒・VODKA2012(ウオッカの2012)は、鹿毛の牝馬で、アイルランドの牧草に育まれながら、幼年時代を過ごして行く、すっぴんでかわいい鹿毛の馬、それがVODKA2012です。 ウオッカの2012は、尻尾を振りながら、母・女傑・ウオッカと一緒に過ごしておりました。 VODKA2012に、別れのときが来ました。 アガ・カーンスタッド・シェシューンで過ごしておりました、母である、女傑・ウオッカが、アガ・カーンスタッド・ギルタウンに戻ることになりました。 VODKA2012の母、女傑・ウオッカは、次の種付け準備をしなくてはならないため、アガ・カーンスタッド・ギルタウンに戻るので馬運車に乗って、アガ・カーンスタッド・シェシューンを離れていきました。 VODKA2012は、1頭と、ポツンといました。 VODKA2012「ヒュヒュヒュ~ン。」 VODKA2012は、大きいいななきを鳴らしては、母・ウオッカを、想い出しておりました。 6月、VODKA2012は、アガ・カーンスタッドの放牧場で、走っておりました。 VODKA2012「パカッ、パカッ、パカッ、パカッ」 VODKA2012「ブルルルルル。」 母・ウオッカの姿は見られないが、VODKA2012は、たくましい女の子の馬になりました。 8月・VODKA2012も、鹿毛の牝馬になりました。 母・ウオッカが、現役時代、7馬身差の圧勝を見せましたが、1年目産駒のVODKA2012も、大きくなったら、競走馬として更なる活躍を期待したいと想い、願っているところです。 母・ウオッカの1年目産駒・VODKA2012は、現在も、幼年時代を、アイルランドの、アガ・カーンスタッドで送っておりますが、初年度産駒・VODKA2011(ウオッカの2011)は、いよいよ、競走馬デビューの為に日本に行く予定になっている様で、VODKA2012も、2014年には日本で競走馬デビューする予定の為、アイルランドを離れることになっており、今後・更なる活躍を期待したいと想い、願っております。 (終)

VODKA2012(ウオッカの2012)

2010年3月に、鼻出血がもとで、惜しくも現役を引退し、4月から、繁殖牝馬として、アイルランド・キルディア近郊・ギルタウンにある、アガ・カーンスタッド・ギルタウンで、繋養生活を送っており、今年の4月4日で、牝・8歳の誕生日を迎えたところで、現在も現役繁殖牝馬として送っている、女傑・ウオッカが、4月24日・午前10時45分(日本時間・18時45分)に、アイルランド・キルディア近郊の、アガ・カーンスタッド・ギルタウンから、少し離れた、シェシューンにある、アガ・カーンスタッド・シェシューンで、1年目産駒・VODKA2012(ウオッカの2012)を、無事に安産で出産しました。 VODKA2012(ウオッカの2012)の、母・ウオッカは、現役時代、中央競馬で26戦10勝を挙げた、2004年4月4日生まれの鹿毛の牝馬で、繋養先のアガ・カーンスタッド・ギルタウンには、2010年4月1日(日本時間・4月2日)から、生活を送っております。 VODKA2012(ウオッカの2012)の、母・ウオッカは、2010年3月13日から16日にかけて、遠征先のドバイから、イギリス・ニューマーケット経由で、アイルランド・キルディア州・キルディア近郊のギルタウンへ輸送され、途中・ホーリーヘッドから、ダブリンの間はフェリーで輸送された後、馬運車に乗せられ、3月16日(日本時間・3月17日)の朝・8時30分(日本時間・17時30分)には、繋養先のアガ・カーンスタッド ギルタウンに到着し、着地検査の後、同年の4月1日(日本時間・4月2日)から、繁殖牝馬として繋養生活を送っており、現在に至っております。 女傑・ウオッカは、2010年の6月に入り、凱旋門賞馬で同年から種牡馬入りした、シーザスターズ(D・ツイ氏・所有馬・母・アーバンシー)との間で種付け交配を過去・2回行ったのですがいずれも不受胎に終わっておりましたが、6月3日(日本時間・6月4日)になり、3度目の種付け交配で受胎が確認され成功し、2011年の5月2日(日本時間・5月3日)になり、難産の末・初年度産駒・ウオッカの2011(VODKA2011)を出産したところです。 2011年・女傑・ウオッカの種付け交配相手も、シーザスターズが選ばれ種付けを行い、今度は成功し、受胎しました。 女傑・ウオッカも、11月に入り、お産の準備のため、アガ

ヴィータローザ 引退から4年

2000年4月9日・北海道のノーザンファームで生産され、長く競走馬として活躍した、ヴィータローザ(VITA ROSA)が、今年の9月3日で、登録抹消され、引退してから、4年を迎えます。 4年前の8月24日・札幌競馬場で行われた、札幌記念に出走したヴィータローザは、当時・橋口弘次郎厩舎(栗東)に所属し、在籍しておりました。 この時、ヴィータローザは、牡・8歳の男馬になっており、高齢のサラブレッドになっていました。 ヴィータローザとは、イタリア語で、薔薇(バラ)色の人生という意味、かわいくて、たくましく人生を送る馬になってほしいという願いを込められている栗毛のサラブレッド、それがヴィータローザです。 ヴィータローザは、サンデーサラブレッドクラブが、総額8000万円で募集された、栗毛のサラブレッドで、2002年の9月15日のサラ系2歳新馬戦(メイクデビュー・阪神・阪神競馬場)・3着でデビューするも、この後のレースは、勝利が果たせない状態が続いており、ようやく初勝利を果たしたのは、4月27日に京都競馬場で行われた、サラ系3歳未勝利戦で、3歳の馬に成長した時の事でした。 父・サンデーサイレンスも、蹄葉炎による衰弱性心不全の為、ヴィータローザ(ローザネイの2000)が育成中の、2002年8月19日・社台スタリオンステーション・早来で、死亡した後であったので、ヴィータローザ自身も、後継種牡馬を目標に、期待がかけられていました。 半姉には、シャーリーハイツを父に持つ、ロゼカラー(Rose Colour=フランス語でバラ色のという意味・2勝挙げた競走馬・現在は、ノーザンファームで繁殖牝馬として繋養生活中で、今年・ハービンジャーとの間に栗毛の牝馬を、3月27日に無事に出産。)がいる他、全弟に、ロサード(Rosado=ロゼカラーと同じく、バラ色のという意味ですが、こちらは、スペイン語です、現在は種牡馬として、活躍中です。)がいます。 ヴィータローザは、ラジオたんぱ賞(現・ラジオNIKKEI賞)・ラジオ日本賞セントライト記念・大阪―ハンブルグカップ・日刊スポーツ賞・金杯(東・中山金杯)など、重賞5勝を含む、51戦6勝を挙げるなど、活躍しました。 札幌記念に出走した、ヴィータローザは、当時・北村友一騎手の騎乗で出走しましたが、同じイタリア語に由来する、タスカ

ハットトリック 現役引退から5年。

LINK PAGE Gainesway Farm(ゲインズウエイファーム・英語のページです。) http://www.gainesway.com/ サンデーサイレンスと、トリッキーコードの仔で、マイルチャンピオンシップ・香港マイルなど重賞競走などで優勝するなど活躍し、2005年の最優秀短距離馬にも選定されるなど、21戦8勝の成績を残した、マイラーチャンピオンホース・HAT TRICK=ハットトリックが、昨日で、現役引退5周年を迎えました。 ハットトリックは、2001年4月26日生まれ・日本・追分ファーム産で、4歳の時の、2004年5月8日・東京競馬場で行われた、サラ系4歳未勝利戦・1着で、美浦・清水美波厩舎所属の関東馬として、中央競馬にデビューしましたが、ラジオたんぱ賞3歳ステークス・9着後の放牧休養中に、栗東・角居勝彦厩舎に転厩し、関西馬となり、以後・5月8日に現役引退を発表するまで、キャロットファーム所有の競走馬として活躍しました。 牡・6歳の時の、2007年・アメリカ・ケンタッキー州・レキシントン近郊・パリスパイクにある、WALMAC FARM LLC(ウォルマックファーム)など、海外の牧場から、南アフリカとアメリカを半年ごとに行き来する、シャトル種牡馬として繋養生活を送れる様、種牡馬としてスタッドインしてほしいという要請のオファーがあり、それに馬主のキャロットファーム(北海道・沙流郡・門別町(現・日高町)・門別)が応じ、所属厩舎などの関係者と今後の対応について協議した結果・現役引退を決め、昨日・発表されました。 あれから、5年を迎えました。 総額8000万円という、破格な価格で募集され、多くの競馬ファンに一口お馬として活躍した、青鹿毛の馬・ハットトリック(HAT TRICK=1試合で1選手が3得点を挙げる事(サッカー用語)の意味・英)は、2007年5月10日で競走馬登録を抹消され、その後、出国検疫検査をへて、5月27日・飛行機で繋養地・アメリカ・ケンタッキー州・レキシントン近郊・パリスパイク出の種牡馬生活へ出発、二度と戻ることのない、名残惜しい日本を後にしました。 サンデーサイレンスとトリッキーコードの仔・ハットトリック(HAT TRICK・血統名・トリッキーコードの2001・毛色・青鹿毛・牡)は、2008年から、アメリカ・ケンタッ

米・ネブラスカ州の競馬にも、ハットトリック産駒が登場。

4月21日(日本時間・4月22日)・アメリカ・ネブラスカ州の、FONNER PARK競馬場で行われた、MAIDEN SPECIAL WEIGHT(未勝利戦)に、MISS SLAP SHOTという名前の、4月26日(日本時間・4月27日)で、牡・11歳の誕生日を迎えたばかりの、HAT TRICK=ハットトリック(Jpn)を父に、FOXY REDを母に持つ、牝馬の産駒(牝・3歳)が出走し、2着以下を抑えて優勝しました。 アメリカでのハットトリック産駒も、3月11日(日本時間・3月12日)に、HOW GREAT=ハウグレートが、パームビーチステークスを制覇したのをはじめ、3月25日(日本時間・3月26日)には、EMONA(エモナ)が、カリフォルニア州・ゴールデンゲートブリッジ競馬場で行われた、MAIDEN SPECIAL WEIGHT(未勝利戦)でも優勝した様で、今年のハットトリック産駒の勝利で終わったレースでは、MISS SLAP SHOTで3頭目になりました。 HAT TRICKをSIRに、FOXY REDをDAMにもつ、MISS SLAP SHOTという名の、黒鹿毛のサラブレッドの今後の活躍を期待したいと想い、願っております。

HAT TRICK ハットトリック 牡・11歳の誕生日を迎える。

サンデーサイレンスとトリッキーコードの仔・ハットトリック(HAT TRICK=イギリス語で、1試合で1選手が3得点以上を挙げること(サッカー用語)という意味・毛色・青鹿毛・牡・血統名・トリッキーコードの2001)が、4月26日(日本時間・4月27日)で、牡・11歳の誕生日を迎えました。 ハットトリックは、2001年に、北海道・勇払郡・追分町(現・安平町)・追分向陽1233-1の、追分ファームの生産になる青鹿毛馬で、1歳のセリで斉藤四方司氏が6800万円という最高値で購買されましたが、間もなくキャロットファーム(北海道・沙流郡・門別町(現・日高町)・門別)の所有馬になり、同ファームの愛馬会法人組織・株式会社キャロットクラブ(本社・東京都)により、総額8000万円で募集されました。 2004年5月8日・東京競馬場で行われた、サラ系3歳未勝利戦・1着で、美浦・清水美波厩舎所属の、関東馬としてデビューしたハットトリックは、牡丹賞を制覇して2連勝としましたが、ラジオたんぱ賞(現・ラジオNIKKEI賞)・9着後の放牧休養の間に、栗東・角居勝彦厩舎へ転厩、以後・関西馬として、2007年5月8日に現役を引退するまで、長く在厩しました。 栗東・角居勝彦厩舎に転厩し、関西馬になった、ハットトリックは、ナリタブライアンメモリアル・1着で3勝目を挙げたのをはじめ、清水ステークス・スポーツニッポン賞金杯(西・京都金杯)・東京新聞杯・第22回マイルチャンピオンシップ・キャセイパシフイック香港マイル(香港瓶)などの重賞を制覇、通算成績21戦8勝を挙げ、2005年の最優秀短距離馬に選出されるなどとして活躍しました。 しかし、牡・7歳の時の、2007年・アメリカ・ケンタッキー州・レキシントン近郊・パリスパイクにある、WALMAC FARM LLC(ウォルマックファーム)など、海外の牧場から南アフリカとアメリカを半年ごとに行き来するシャトル種牡馬として繋養生活を送れる様、種牡馬としてスタッドインしてほしいという要請のオファーを出したことから、馬主のキャロットファームはそれに応じ、今後の対応について協議した結果、現役引退を決め、5月8日にハットトリックの現役引退を発表しました。 サンデーサイレンスとトリッキーコードの仔・ハットトリックは、2007年5月10日付けで競走馬登録を抹消、山

THE PALM BEACH STEAKS(パームビーチステークス・3月11日( 日本時間・3月12日)・ガルフストリームパーク競馬場)

アメリカの重賞競走の1つ・パームビーチステークス(THE PALM BEACH STEAKS・G3)が、3月11日(日本時間・3月12日)に、アメリカ・フロリダ州・ハランデールにある、ガルフストリームパーク競馬場で、第7レースとして行われ、ジョン・R・ベラスケス騎手騎乗の、HOW GREAT=ハウグレートが、1分46秒56で優勝、2着には、ケント・K・デザーモ騎手騎乗の、DULLAHAN=デュラハンが入り、3着には、パゴ・ロペス騎手騎乗のCSABA=シーサヴァが入りました。 THE PALM BEACH STEAKS=パームビーチステークス(3歳馬・G3戦)・結果(いずれも、2009年生まれ)。 1着・HOW GREAT=ハウグレート(USA・KY) 父・HAT TRICK=ハットトリック(JPN)・母・GINGER SEA=ジンジャーシー(SAF) 馬主・TEAM VALOR INTERNATIONAL 調教師・H・GRAHAM・MOTION氏 生産者・BARRY LRWIN氏 2着・DULLAHAN=デュラハン(USA・KY) 父・EVEN THE SCORE=イーヴンザスコア・母・MINNING MY=マイニングマイ 馬主・DONEGAL RACING 調教師・DALE・L・ROSMANS氏 生産者・PHLL・NEEDHAM氏・JUDI・NEEDHAM氏&BENA・HALCKY氏 3着・CSABA=シーサヴァ(USA・KY) 父・KITTINS' JOY=キティンズジョイ・母・HIGH CHANT=ハイチャント 馬主・HORANDER BRUCE氏&SHAPOFF CARY氏・調教師・PHILLP・A・GLAVES氏 生産者・KENNETH・L・RAMSEY氏&SARAH・K・RAMSEY氏 THE PALM BEACH STEAKS=パームビーチステークスの優勝馬・HOW GREAT=ハウグレートは、前走の、KITTINS' JOY STEAKS=キティンズジョイステークスの優勝馬で、その父・HAT TRICK=ハットトリック(JPN)は、現役当時・美浦・清水美波 栗東・角居勝彦 両厩舎に所属しており、未勝利戦・牡丹賞・ナリタブライアンメモリアル・清水ステークス・スポーツニッポン賞

HAT TRICK=ハットトリック GAINES WAY FARM(ゲインズウェイファーム)での新生活(2)

昨年の11月中旬に、WALMAC FARM LLC(ウォルマックファーム) から、GAINES WAY FARM(ゲインズウェイファーム)にやってきた、HAT TRICK=ハットトリック、ウオルマックファームで過ごした、4年間の内、半年間を、オーストラリア・アルゼンチンでシャトル種牡馬として繋養生活を過ごしたのです。 ハットトリックは、2001年4月26日生まれの、牡・11歳、現役当時、キャロットファームの愛馬会組織・キャロットクラブにより、8000万円で募集された、青鹿毛の馬であり、2007年に現役を引退するまで、競走馬生活を送り、同年の6月・種牡馬としてアメリカに輸入され、2008年から4年間・WALMAC FARM LLC(ウオルマックファーム)を拠点として、シャトル種牡馬として、オーストラリア・アルゼンチンでも、シャトル種牡馬として、半年間繋養生活を送った、青鹿毛の馬です。 牡・10歳の時の、昨年11月中旬になり、4年間・繋養生活を送った、WALMAC FARM LLC(ウオルマックファーム)から、お隣のGAINES WAY FARM(ゲインズウェイファーム)に来ました。 これまでに、ダビルシム(DABIRSIM)を始め、トウキョウキャット(TOKYO CAT)・マタハリ(MATAHRI)・ハウグレート(HOW GREAT)・ヒノキ(HINOKI)などの代表産駒を輩出しております。 HAT TRICK=ハットトリックは、宮城県・山元町の、山元トレーニングセンターで、出国検疫検査をへて、2007年5月27日に飛行機で、アメリカに渡りました。 HAT TRICK=ハットトリックは、2007年6月に、繋養先の、WALMAC FARM LLC(ウオルマックファーム)に到着し、着地検査を受けた後、2008年から種牡馬生活を開始し、4年間・繋養生活を送った後、2011年11月中旬・GAINES WAY FARM(ゲインズウェイファーム)にやってきました。 GAINES WAY FARM(ゲインズウェイファーム)の放牧場に、ハットトリックが来ると、手綱を離して、 ハットトリックは大きい蹄を鳴らして、走り出して、パカッ、パカッ、と音を出していました。 HAT TRICK=ハットトリック「ブルルルル、ブルルルルル。」 ハットトリックは、大きい

HAT TRICK=ハットトリック GAINESWAY FARMでの、新生活。

GAINESWAY FARM 2007年に日本から輸入され、2008年から4年間・アメリカ・ケンタッキー州・レキシントン近郊・パリスパイクにある、WALMAC FARM LLC(ウオルマックファーム)で種牡馬として繋養生活送り、そこを拠点として、オーストラリア・インディペンペンデントスタリオンズ・アルゼンチン・エルマリン牧場で半年間、シャトル種牡馬としても供用生活を送ってきた、サンデーサイレンスを父に、トリッキーコードを母に持つ、青鹿毛の馬・HAT TRICK=ハットトリック(牡・11歳・2001年4月26日生まれ・日本(追分ファーム)産・血統名・トリッキーコードの2001)が、昨年・11月初旬、同じ、アメリカ・ケンタッキー州・レキシントン近郊・パリスパイクにある、GAINESWAY FARM(ゲインズウェイファーム)に売却、同月中旬から、同ファームに移動し、18日(日本時間・19日)に行われたオープンハウスでは、ゲインズウェイファーム初登場の、ハットトリックとあって、ブリーダー達の関心を集めました。 2012年1月、牡・11歳になった、ハットトリックは、ゲインズウェイファームでの、新生活を始めました。 HAT TRICK「ヒュヒュヒュヒュ~ン!」 ハットトリックは、大きい雄叫びを鳴らしながら、素直な男馬として、素顔を見せてやりました。 ハットトリックとは、イギリス語のサッカー用語で、1選手が1試合で、3得点を挙げることという意味です。 母の、トリッキーコードから、連想して、命名され、たくましく、力強い走りを、みんなに希望を与えてくれる馬になってほしいという願いが込められている馬、それが、ハットトリックです。 HAT TRICK「ブルルルルルルル。」 HAT TRICK「パカッ、パカッ、パカッ。」 HAT TRICK「パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ、パカッ。」 HAT TRICK「パカッ。」 HAT TRICK「ヒュヒュヒュヒュヒュヒュ~ン!」 ハットトリックは、北海道の大地に生まれ、大きく成長した、サンデーサイレンスを父に、トリッキーコードを母に持つ、美しい、きれいな、青鹿毛のサラブレッド、そして、やさしくかわいい、チャンピオンマイラーホースである、青鹿

Miss Isabel's Diary - 日本語: 私のブログの新しいお家ができたの!!!!

Miss Isabel's Diary - 日本語: 私のブログの新しいお家ができたの!!!! : このリンクに従って参加してね… 私のブログがあなたを待ってるわ… そして、私もあなたをそこで待ってるわよ:) -Miss Isabel 参加します、今後とも、よろしくお願いします。

TESTAMATTA テスタマッタV フェブラリーステークス 東京競馬場(19日)

競馬のG1競争の開幕戦、第29回・フェブラリーステークスが、2月19日・東京競馬場で16が出走して、行われました。 ゼッケン16番で、アメリカ・ケンタッキー州・ミッドウェイ生まれの、TESTAMATTA=テスタマッタ(イタリア語で、クリエティブな意味合いでクレイジー(CRAZY)という意味・父・TAPIT=タピット・母・DIFFICULT=ディフィカルト・毛色・鹿毛・牡・6歳・2006年3月19日生まれ・馬主・吉田和美氏・栗東・村山明厩舎・所属・生産者・WATERFORDFARM・MILFORD=ウオーターフォードファーム・ミルフォード)が、1分35秒4で優勝、ゼッケン3番で、北海道・新冠郡・新冠町出身のシルクフォーチュン(SILK FORCHUN=冠名・シルク+富・父・ゴールドアリュール・母・シルクエスぺランサ・毛色・鹿毛・2006年2月14日生まれ・馬主・有限会社 シルク・栗東・藤沢則雄厩舎・所属・生産者・中地義次氏)が2着に入り、ゼッケン10番で、同じ、北海道・三石郡・三石町(現・日高郡・新ひだか町・三石)・出身生産馬の、ワンダーアキュート(WONDOR ACUET=冠名・ワンダー+鋭い・父・カリズマティック・母・ワンダーヘリテージ・毛色・鹿毛・牡・6歳・2006年3月14日生まれ・馬主・山本信行氏・栗東・佐藤正雄厩舎・所属・生産者・フクダファーム)が3着に入り、1番人気に支持された、第28回・フェブラリーステークス・優勝馬の、トランセンドは7着に終わった他、2頭出走した、外国産馬でもう1頭参戦した、ライブコンサートは10着に敗れました。 このレースでは、地方競馬・船橋競馬場から参戦した、ナイキマドリードが参戦しましたが、最下位の16着に終わった様です。 又、スマイルジャックも参戦しましたが、こちらは、14着に終わっています。 優勝した、TESTAMATTA=テスタマッタは、アメリカ・キーンランド・2歳セールで、ナーヴィック・インターナショナルの名義により購買した馬で、父・TAPIT=タピットは、現役時代・アメリカで競走馬として活躍、その後・種牡馬となり、現在・アメリカ・ケンタッキー州・レキシントン近郊・パリスパイクの、GAINES WAY FARM=ゲインズウェイファームで繋養生活中です。 一方・2着のシルクフォーチュンは、有限会社・シル

ブエナビスタ 遂に引退、繁殖牝馬になる為故郷に帰る!(2)

ブエナビスタとは、スペイン語で、素晴らしい眺め・絶景という意味、父・スペシャルウイーク・母・ビワハイジの仔として生まれた鹿毛の馬、素晴らしい成績を残せるようにという願いを込めて命名された、鹿毛のサラブレッド、それが、ブエナビスタです。 12月29日・午前11時25分、ブエナビスタは、北海道・勇払郡・安平町・早来源武275番地にある、生まれ故郷・ノーザンファームに到着、長い旅を無事に終えて、ブエナビスタは、繁殖牝馬専用厩舎の、母・ビワハイジの隣の馬房に入りました。 「カポ、カポ、カポ、カポ、カポ、カポ。」 ブエナビスタは、生まれ故郷・ノーザンファームに帰ったのです。 ブエナビスタは、大きい鹿毛の馬体に、生まれ故郷・北海道の大自然に抱かれながら、育った、美しい鹿毛のサラブレッドです。 1歳の時の、ブエナビスタは、ノーザンファームの放牧場で、戯れながら、走って遣りました。 「ヒヒヒヒヒヒヒ~ン、ヒヒヒヒヒヒ~ン」 幼少時代の、ブエナビスタ(当時・ビワハイジの2006)は、大きい声で、大自然の北海道の空に鳴き声を出していました。 「ブルルルルルルル、ブルルルルルルルル!」 ブエナビスタは、幼少時代を想い出しながら、大きい鼻息を鳴らしてやりました。 「ヒヒ~ン、ヒヒ~ン!」 ブエナビスタは、大きい声でいなないては、北海道の空に吠えていました。 いよいよ、ノーザンファームの放牧場に、ブエナビスタなどが、放牧されて行きます、寒い冬の、北海道も、雪が降った後とあって、雪だらけの銀世界に、ブエナビスタは、「パカッ、パカッ、パカッ。」と、走っては、吐く息を出して、放牧生活に慣れるのです。 今年・1月5日付で、松田博資厩舎から、ブエナビスタの、登録抹消届を、JRAが受理し、抹消されました。 本年から、繁殖牝馬として、ノーザンファームで生活を送ることになっている、ブエナビスタが、いい仔馬を産んでくれるのか、期待したいと想い、願っております。

ブエナビスタ 遂に引退、生まれ故郷へ、繁殖牝馬入りの為帰る。

ブエナビスタとは、スペイン語で、素晴らしい眺め・絶景という意味、父・スペシャルウイーク・母・ビワハイジの仔として、2006年3月14日に北海道・勇払郡・安平町・早来源武275番地の、ノーザンファームで生産された、鹿毛のサラブレッドで、ビワハイジの2006として生まれた、素晴らしい眺めの様な、成績を残せるようにという願いを込めて命名された、美しく綺麗な、鹿毛の牝馬のサラブレッド、それが、ブエナビスタです。 2歳の時の、2008年・メイクデビュー京都で、栗東・松田博資厩舎・所属の競走馬として、デビューした、ブエナビスタは、2戦目の、サラ系2歳未勝利戦で、初勝利を挙げまた。 初勝利を挙げた、未勝利戦から、駒を進めた、ブエナビスタは、阪神ジュベナイリーズフィリーズに出走し、2勝目を挙げたのです。 2009年3歳になった、ブエナビスタは、、桜花賞・優駿牝馬(オークス)・京都記念・天皇賞 秋などを制覇、昨年には、ブエナビスタは、第31回・ジャパンカップにも出走し、優勝を果たしました。 この間・2010年の11月に行われた、第30回・ジャパンカップにも、ブエナビスタは出走し、先頭に立ち、1着でゴールしましたが、2着のローズキングダムの進路妨害で長い審議となり、2着に降着となるなど、後味の悪い結末となったこともありました。 2011年12月25日・ブエナビスタは、第56回・グランプリ 有馬記念に出走させました。 ブエナビスタは、1番人気に支持されました。 前走のジャパンカップ(第31回)の制覇後、馬主のサンデーレーシングから、ブエナビスタは、第56回・グランプリ 有馬記念をラストランとして、年内いっぱいで引退、来年からの、繁殖牝馬入りが発表されました。 2006年3月14日に、ビワハイジの2006として、ブエナビスタは、生まれて以来、長く競走馬として活躍しました。 この間に、桜花賞・優駿牝馬(オークス)・京都記念・ヴィクトリアマイル・天皇賞 秋・第31回・ジャパンカップなど制覇した他、ドバイワールドカップなどにも出走する為、2回・ドバイにも遠征したこともありました。 2010年には、2010年のJRA賞・年度代表馬・最優秀4歳上牝馬にも選出され、受賞しています。 いよいよ、ゲートインが始まり、ブエナビスタは、ゲートに収まりました。